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会社案内

ごあいさつ
MESSAGE

私が「R31HOUSE」という会社(ブランド)を作り27年目を迎えようとしています。23歳の時、中学の時から大好きだった、ゆうこちゃんと愛車のR31でデートをしました。前日、気合を入れる為ニンニク山盛りのラーメンを食べ、デート当日の口臭は強烈なニンニク臭を放っていたと思います…。それだけでも最悪なのに、雨で窓が開けられない上に、エアコンが壊れ室内が曇り前が見えない。さらに渋滞でオーバーヒートしボンネットから煙が立ち上がりエンジン停止。コンビニで水を買ってラジエターに水をかけて冷やし、やっと動いたと思ったらパワステが壊れハンドルが効かなくなる…。R31の洗礼を受けながら絶望的な気分になっている中、助手席をみると「車屋さんなのに、もっとマシな車ないの?」と言わんばかりのゆうこちゃんの表情。そんな私が選んだデート目的地は「JU岐阜」そりゃ別れる(笑)

そんな壊れまくるR31が愛おしくほっとけなくて、R31をデートができる「普通の車」にしよう!(懲りてない)それが私の「R31道」の原点です!まずは部品取り用のR31をJU岐阜や全国のUSSで買い集め中古部品の確保をしました。(現在437台保有)創業してすぐに「R31HOUSE」の存在がネットで話題になり。私と同じようにR31が壊れて困ってる人たちが全国から修理にやってくるようになりました。あの絶望の日から今日まで、9000日以上、壊れたR31を毎日修理をしております。ハゲたり錆びたりした車を補修&塗装してキレイにしています。9000日も飽きもせず同じことをやっているせいで、壊れた部品を分解して修理する技術を身につけ、さまざまな製法で部品を作ることを覚え(金型量産、NC切削)、最先端技術を使い3Dスキャナー&3Dプリンターで、金属や樹脂の部品を作れるようになり、ついには、ホイールやタイヤも自社ブランドで作れるようになってしまいました!

27年という時間、R31をやり続けた結果、R31の何が壊れても絶対に修理できる技術を身につけ、修理する為の部品を用意することが出来ました。ついにR31は「普通にデートが出来る車」になりました。当初の目的を達成しました!さらにはR31をチューニングして1000馬力のレーシングカーに仕上げ、レースにも出場し、自分たちが作った部品の耐久性や性能も皆さんに見て頂くことが出来ました!レースをやったおかげで、フルノーマルからフルチューンまで幅広く対応できる「技術体制」が出来ました!

あの日私のR31が壊れたことがきっかけとなり、R31の専門店として世界中のスカイライン愛好家をサポートできるようになりました。さらに我々はR31を修理する過程で身につけた技術で事業が拡大し、ラジコンメーカー、タイヤメーカー、ホイールメーカー、レーシングチーム運営、保険代理店を含む、6事業をもつ「企業」へ成長をしました。

スカイラインが壊れすぎたせいで、人生の半分以上がスカイラインを修理することになってしまい、その情熱がR31の生みの親であり、スカイラインの神様である「伊藤修令」先生にも認められ、「私の作ったR31スカイラインを守ってくれ!」と言って頂けるようになりました。さらに世界中のR31オーナーさんから「スカイラインを守ってほしい!」とお願いされるようになり、それが私の「みんなを支えたい」という原動力となっているのは間違いありません。持ちつ持たれつです。

437台の部品取りの車も、この25年間多くのユーザーさんの車の為に部品を取られ続けてきましたが、すべての部品が作れた今、今度はこの437台の車をまた全部修理して、世の中に戻し、また元気に走らせたいなと思っています!部品を全部外して用がなくなったから「捨てる」という思考はありません。他の車を生かすために、一時的にドナーとして外されているだけで、フレームがあれば、どんな車でも修理可能です!クラッシュしている車もレースをやり過ぎたせいか、これぐらいならすぐに直せるな!という「思考回路」と実際に直せてしまう「技術」が身に付いてしまいました!

今は「みんなを支えたい」という情熱の範囲がさらに広くなり、わが社が手掛ける、すべての事業において…

「大人の遊びをクリエイトする」

この地球上で、車、ラジコン、モータースポーツで遊ぶすべての人を支えることが出来る「製品とサービス」が提供できる企業になりたいと思っています!これからも「SHIBATA」が生み出す「製品とサービス」にご期待くださいませ!

柴田自動車代表
柴田 達寛

R31HOUSE's Story
~ R31HOUSEの物語 ~

創業秘話

今年で創業21年の弊社の創業元年となります1997年5月、当時大学生だった私はR31に乗っており、個人的な趣味で 「R31スカイライン」のHPを開設しました。そのHPの名前が後に弊社の社名にもなる「R31HOUSE」だったのです。 ネットで仲間を集め、ミーティングやツーリングをしたりして遊んでいました。大学卒業時にはR31仲間もかなり増え、 その流れでR31の専門店を起業することになりました。 社会人1年目、周囲からはR31の専門店などもって3年と言われる程、不人気の代名詞だったR31は当時で既に新車発売 から10年が経過し市場価値は底値になっていたため、そのまま絶滅していくと思われていました。しかし「R31は世界 一カッコイイ」そう心から思っていた私は市場価値がなく、どんどん捨てられていくR31を日本全国から「全部集めて やろう」と思うようになりました。 それから約2年間、オークションに出品された全てのR31を買い続け、その数およそ200台。いつしか私は集めた 「R31」を1台1台キレイに仕上げ「作品」としてネットに掲載し、販売していくようなりました。私の作る「R31」を 求めて日本中からマニアが訪れるようになり、私はネットとメディアを使い「R31はカッコイイ」ということを世界中の 人に知ってもらう活動を始めました。ミーティングやツーリングのイベント、オートサロンやノスタルジックなどのカー ショーへの出展などの活動を雑誌に取材していただいたり、ネットにレポートとして掲載したり、その活動は多岐にわた り始めました。それから21年、中古車相場も当時の100倍を超えるほどの高値を記録し、いまや世界中へ輸出されてい く歴代の日産車を代表するマシンの1台となりました。と同時に「R31HOUSE」というブランドの知名度も世界中に轟 くこととなったのです。

「夢」を叶えた先にある絶望

私には設立当初より「目標」と「夢」がありました。「目標」は、世界中の人に「R31のかっこよさを知ってもらう」というもので、これを生涯をかけて取り組むと心に決めて活動を始めました。ちなみに、この活動にはゴールはありません。そして「夢」は「私の作ったR31に、R31開発主管である伊藤修令先生 に乗ってほしい!」というものでした。叶いそうで絶対叶わないだろうと思っていた「夢」でした。ところが2013年のワンダーフェスティバルにおいて、伊藤修令先生に私が作った究極の「R31スカイライン (RB25DET-R」に乗ってもらうことになったのです。富士スピードウェイのストレートを全開で駆け抜ける伊藤先生の姿を見て震え、涙が出ました。降りてきた伊藤先生に「これは素晴らしい車だ。とにかく音がいい。」というお言葉を頂いた瞬間、私の中で何かが崩壊していきました。私は到底叶うはずがない と思っていた「夢」が叶ってしまった上に、最高のお褒めの言葉を頂き、「もう今日この世が終わっても良い」と本気で思いました。その翌日から「魂」の抜けた状態の私は、生きる目的を失い、“燃え尽き症候群” という心の病に侵されました。その後、私は自分探しの為に1年かけて「世界一周の旅」に出ました。次なる何か「生きる目的」を見つけたかったからです。私は世界でいろいろな民族や文化に触れ、そこで心震える衝撃的な出会いがあり、この地球には想像を超えることをやる人間と企業がいるんだということを改めて知りました。そして、ついに「生きる目的」を見つけたのです。私は2014年と2015年の2年間を自身のスキルと会社のレベルを上げる為の修行の年と位置付けし、必死で勉強と投資をしました。車とラジコ ン、その両方がある一定の条件を満たしたとき、車屋でもなく、ラジコンメーカーでもない、世界で活躍できる「グローバル企業」が作れる!と直感したのです。

これからの「夢」

現在、たくさんのお客様にご利用いただけるようになり、車両の販売、車検、メンテナンス、チューニング、レストア、 事故の交渉相談や修理など日常業務は増加の一途にあります。集めたR31も400台を超え、日々レストアしております が、保有するすべてのR31を完璧に仕上げることを目指しますと、単純計算で40年以上かかりますので常にスタッフ募 集中です。 現在は通常の業務の他に、R31のメーカーとして、ソリッドワークス(CAD&CAM)を導入し、自社にて部品の設計・ 開発を行っております。R31オーナー様にはこれからも安心して乗り続けていただける様、廃盤部品の復刻、GT部品の 開発、また楽しくチューニングしていける様、さまざまな強化部品をリリースしていきたいと思います。 スカイラインが大好きで始めた、私の会社「R31HOUSE」が、これから先、「R31スカイライン」という枠を飛び越 え、どのような企業になっていくのか、これからもぜひともファンの皆様と一緒に歩み、一緒に多くの感動をつくって いければと思っています。